波間に向かって小壜を投げる
シンプルな、文字だけの、自分用のサイトをつくってみる。 誰かとつながりたいわけじゃない。たくさんの人に見られたいわけでもない。評価とか別にいらない。誰かが見てくれてもいいけど、見られなくてもいい。何か言いたかったら言ってもらってもいいけど、別に無言でもかまわない。だって書きたいだけだから。 それくらいの気持ちで文字を書きたい。 海に、手紙を詰めた小壜を流すように。波間の、できるだけ遠くに向かって投げるように。
シンプルな、文字だけの、自分用のサイトをつくってみる。 誰かとつながりたいわけじゃない。たくさんの人に見られたいわけでもない。評価とか別にいらない。誰かが見てくれてもいいけど、見られなくてもいい。何か言いたかったら言ってもらってもいいけど、別に無言でもかまわない。だって書きたいだけだから。 それくらいの気持ちで文字を書きたい。 海に、手紙を詰めた小壜を流すように。波間の、できるだけ遠くに向かって投げるように。
録音文字起こしってそんなに簡単じゃない 取材で録音したあと、文字起こしをうまくやるためのツールはないかと10年以上探し続けているけれど、正直なところいまだ「これで万全!」いうツールはないと思う。 定型の議事録や短いコメントならAIの文字起こしツール(ガジェットとかアプリとか)で完結できる場合もあるかもしれない。ただ、他人が喋った内容を、正しく文字にして、なんならそのまま原稿にするなんて用途で使えるものはないのでは? というより、それを期待するのは無理がある。 そもそも、大抵のインタビューや取材はそんなに万全の環境で録音できないものだ。 ひとりで喋ってるとかマイクからの直入力とかはましだが、BGM大きめの喫茶店だったり隣の席に声の大きい人がいたり、ばさばさ資料を広げられたり机が狭かったり、外で歩きながらだったり。 そして「人間が、あるテーマについてまとまったことを喋る」となると、さらに難しくなる。 まあまあ長い時間かかる(1〜2時間、もっと長いときもある)。 専門的な内容のこともある(文脈を知らないとなにを言っているかわからない)。 資料で補足しないと不明のことがある(大抵の人はそんなに理路整然と喋ってない)。 複数人いることもある(それが入り乱れて喋ることもある)。 だから今のところ、私の作業手順はこんな感じ。 ICレコーダーで録音する。 Adobe PremiereProで文字起こしをする(だいたい起こせるならなんでもいい)。 録音を聞きながら、修正してざっくりまとめる。 ざっくりまとめを使って、一から原稿を書く。 「聞いた話をまとめる」のは簡単か? 私の仕事は主に、人の話を聞いて、まとめることだ。 仕事になっているくらいなのだから、それなりの技能なのだろうけれど、今の世の中ではなぜか軽んじられている。「ライティングは簡単だから儲からない」と、書く仕事をしていない人に言われることがある。 たぶん、そもそも「聞いたことをまとめる」ということ自体に、人はあまり価値を見出していないのだろう。 だって、誰でも「他人の話くらい聞ける」と思っているから。 「聞いたことを書く」なら、聞いたことをそのまま書けばいいんだし、それなら誰だって同じもの(内容)になるだろと思っているから。 でも、全然違うんだよ。 略語を正しく表記する。 専門用語を正しく使う。 話の時系列を正しくする。 使い間違っている言葉を正しくする。 端折られているけれど必要な情報を書き足す。 引用なのか本人の考えなのかを分ける。 どんな調子で話したかで重要度を判定する。 地の文と会話文を分けて、簡潔にわかりやすくする。 大きなまとまりをつくって、話の流れをつくる。 この過程で、各種の辞書や資料(文書とか年表とか)も調べないといけない。 話された内容をそのまま文字にしただけでは、意味がわかる文章にはならない。 聞いたことをまとめて書くことも、読むことも、読んで「なんかへんだな」と気づくことも、どれもちゃんとやろうと思うとけっこう特殊な作業なんだよ、本当は。 「なんかへんだな」は、特にそうだ。 この接続詞はここにはそぐわない。 この順番だと誤解されそう。 この段落は浮いている。 本当はそこを言いたかったんじゃないのでは? この例は余計だ。 こういうことを具体的に説明したいけれど、「違和感」としか言えないことがある。話し聞き、読んできたものから得た情報と、誰向けのどんな媒体に載るのかを照らして、たぶん体験的に判定している。 文章を書くことは、そんなに単純じゃない 母国語で文章を書く。 多くの人は「誰でもできる」と思っているかもしれないけど、誰でも“いい感じ”にできるわけじゃないとも思う。 “いい感じ”って、たとえば、目的に、内容に、媒体に、読み手に、自分の見せたい見せ方に「合っている」ということだ。 文章の問題にはいろいろあって、確実に修正する必要があると、すぐにわかることもある。 語句が間違っている。 文と文がつながっていない。 長すぎる/プツプツ切れすぎる。 ねじれている。 始まりと終わりが対応していない。 でも、これらを修正してもまだそれ以外に、そういう書き方だとなんか嫌な感じがするなあとか、喋って聞いてみたら「なんだ、そういう意味だったんだ」となるとか、そういう「ちょっとしたうまくいってないこと」がまだまだある。 そういう、全体が醸しだす雰囲気や伝達の到達レベルについても、気にしたほうがいいのにな、と思わされる文章はけっこうあるんじゃないだろうか。 解決するのは地道なトレーニング じゃあ、それを生成AIが解決してくれるかっていうと、たぶんそんなことはないと思うんだよ。今はまだ、とかじゃなくて、できないんじゃないかなあ。だって、生成AIがやるのはあくまで「人間が出した指示に応える」ってことなんだから。 「いい感じにして」ってたのむなら、どういうのが「今回求めている“いい感じ”」なのかをちゃんと書かないといけないのだよ? じゃあ人間はどうするのかというと、結局は、地道にトレーニングするということになる。 書いて、読んで、直す。 読んでもらって、指摘してもらって、直す。 しばらく置いておいて、また読んで、直す。 この繰り返し。 近道はない。なかった。これからもないだろう、たぶん。 そう思っている。
物理的な、ノートやメモ帳、手帳の類がすきだ。使いこなしているという意味ではなく、断片を記録するための「もの」として、集めて手元に置いている。 デジタルのメモツール、メモアプリもすきだ。できれば挙動は軽く、複数台のMacでもiPhoneでもシームレスに書き込めるもの。 以前はmomonoteというのを使っていたけれど、更新されなくなり、iPhoneで使えなくなった。エクスポートはあまり使い勝手がよくなかったけれど、とにかく動きが軽く、タグや画像添付にも対応していて見た目もよかったから残念。編集、保存のボタンがあったので、いきなり上書きしてしまったりすることがないのもよかった。 Google keepもいいけど、これはメモを開くともう編集画面になってどんどん上書きされてしまう。Macの純正メモもそうか。とにかく書いておくにはよくても、「ぜんぶをこれで」とはならない。一呼吸、というちょっとしたことだけど、好みが出るところのような気がする。 note(.comのほう)には手帳の民とかデジタルメモツールの民がいっぱいいる。Instagramとかにもいる。特に革の手帳やバインダーの派閥の人は一大勢力で、手書きのおしゃれな文字、装飾、イラストがすごい。何個も所有していて使い分けとか。 いいね、とは思うのだが、あんなふうにしたいとか思うともうそれがプレッシャーだ。誰かに見せるのではない、自分がメモを残せたらそれでいいんだけども。 2年前からNOLTYの手帳を使いはじめた。小さめの、ポケットカジュアル4というタイプ。手帳は、月ごとに、月間・週間・メモがセットになっているタイプがいい。月間だけ前に集まってるタイプは使わない。ビニルのカバーだけど、軽いし汚れないしちょうどいい。カードとか挟めるスリットもあるし。 とはいえ、スケジュール管理はGoogleカレンダーだし、読書のメモはGoogle Keepだ。手帳に書くのは予定でもその日の仕事でもなく、なにか考えたこととか感情とか文句とか、毎月の自分の財産の状況とか、おいしかったものとか、そのくらい。 狭いスペースにちまちま、しかもささっと書こうとすると、どうしても字が汚くなって読めない。 きれいな字を書こうと思って最近やっているのは、一筆箋に万年筆とかで何か書くということ。その日あったこととか、ただのひとりごととか、頭の中で母に向かって喋っていることとか。 誰かに渡すものではないが、下書きでもない。そうすると、ちょっといい用紙のせいか手帳より意識的に書くし、長すぎないから、最後まできれいな字を保てる(気がする)。これを二つに折って週間のメモページに貼る。落ち着いて紙に向かえば、わたしだってきれいに書けるのだよ。