波間に向かって小壜を投げる
シンプルな、文字だけの、自分用のサイトをつくってみる。 誰かとつながりたいわけじゃない。たくさんの人に見られたいわけでもない。評価とか別にいらない。誰かが見てくれてもいいけど、見られなくてもいい。何か言いたかったら言ってもらってもいいけど、別に無言でもかまわない。だって書きたいだけだから。 それくらいの気持ちで文字を書きたい。 海に、手紙を詰めた小壜を流すように。波間の、できるだけ遠くに向かって投げるように。
シンプルな、文字だけの、自分用のサイトをつくってみる。 誰かとつながりたいわけじゃない。たくさんの人に見られたいわけでもない。評価とか別にいらない。誰かが見てくれてもいいけど、見られなくてもいい。何か言いたかったら言ってもらってもいいけど、別に無言でもかまわない。だって書きたいだけだから。 それくらいの気持ちで文字を書きたい。 海に、手紙を詰めた小壜を流すように。波間の、できるだけ遠くに向かって投げるように。
突然、ウェブサイトをつくってみたりタロットリーディングのウェブアプリケーションをつくってみたりしはじめたのは、以前からやってみたかったからではあるけれど、さやわか氏のウェブサイト「bunkei +ech」を見たからだ。だからちょっとマネした(こわいからリンクは張らない)。 自分がちゃんと理解しているかあまり自信がないが、「それを私もやりたい」というよりは、「そうか、既存のプラットフォームが気に入らないなら自分でつくればいいのか」と改めて思い至って。30年くらい前って、みんなそうしてたよね。私はもう何十年も前、大学に入ったとき、HTMLを使ってウェブサイトをつくりましょうという授業を受けた。大学のサイトにぶらさげる形で公開するやつ。gifの動く絵をつけちゃったりするやつ。グレー地に青字とかのものすごく可読性の低い色づかいにしてしまったりするやつ。遠くに住んでる同じ苗字(ちょっと珍しい)の人からメールが来たなあ。 そのときはウェブサイト(という……なに?部屋?箱?)をつくることにそんなに関心がなく、やがてはgooとかはてなとかfc2とかのブログサービスを使うようになった。匿名で小話を書いたり、自分用のメモだったりするものとして。 そこから、公開する必要のないものは自分だけが見るクローズドなメモアプリに移して、note1とかTwitter…じゃなくてXには変わらず匿名でなにか書いたりしていた。でもなんか、いちいちうるさいのがいや。アイコンをつけろとかタイトル画像を載せろとか、「そうするともっと読まれますよ!」「いいねがもらえますよ!」とか、ほっといてほしい。別にそれがほしくて書いてるんじゃないよ。なんもなくていいの。 おおきなお世話がすぎるので、ただ文字だけ残しておく場所をつくろうと思って、こうなっている。 まだ改良中だけど、しくみを見ながら動かすの、たのしいな。本業も、パソコンで手を動かしてつくることだけど、また違うおもしろさ。 根気がないのが私の弱点だけど、ここに書くことを習慣にしていきたい。 noteに、ポメラ使ってて万年筆とタロットカードがすきでデザインとかしてるという「私かな?」みたいなプロフィールの人がいて、たぶん年齢も住んでる地域も近そうな気がする……。だからといって交流するわけじゃないけども。 ↩︎
6/25は出張の予定だった。でも、行けなかった。地震で、新幹線が止まってしまったから。 ホームで待っていても発車の気配はない。何時に出る? ていうかまだ乗る新幹線は到着してもいない。前の便がずっと停車している。だめだ、これは、たぶんうごかないやつだ。 タッチの差。あのとき、自分の乗る予定のじゃなかったけど飛び乗っておけば。始発で行く予定にしておけば。前日から行っておけば。 失敗した、と考えることをやめられない。可能性はゼロではなかったのだから、予想はできたはずだと思ってしまう。 でも、地震とか台風とか、私にはどうにもできないことだ。自然のことだから、なにか起きることはある。どうにもできないことまで自分の責任だと思いはじめたら、もうなにもできない。 自分の力ではどうにもならないことまで背負わない。 できることはした。メールで連絡して、まずそちらは無事かどうか、問題はないか、時間はずらしても大丈夫かを聞いた。今日は時間がずれるともう対応できないというので、電話して、改めて調整してくれるように頼み、すぐに必要な項目だけメールでコメントと写真を用意してもらいたいとお願いした。 急激に疲れたので、オアゾのスタバでちょっといい方のラテを飲んだ。そして会社に戻ってから、フォローのためにメールでもリスケとコメント・写真の依頼をしておいた。 できることはした。した、よね? した、だろ。
ずっと、頭の中にあるフレーズを書いておこう。大事な言葉だ。 I’m not yours. You are not mine. これは、どこかで読んで知ったものじゃない。いつの間にか、自分の中にあった。十数年も前から、いろんな手帳に書いてある。 結局、自分がどういうふうに“ここ”にいるのか。それを支えているのはこのことなのだと思う。 家族も、友達も、会社も、親密な関係を築くに至った誰かも、どの人も私を所有していないし、私も誰も所有しない。